海外で日本食ブームのワケ

江戸時代までの日本食の立場

日本の国の近代史をふりかえりますと、300年近くも続いてきた武士中心の社会であり鎖国政策のために海外との門戸が閉ざされていた、江戸時代が終わって明治維新となって世界に向けて開かれた日本となった時期がありました。

 

江戸時代での日本は中国や朝鮮などのアジアを除いてはポルトガルやオランダいがいとの交易は殆ど有りませんでした。

 

この当時での日本料理は魚貝類と野菜が中心で、調味料は塩と醤油しか有りませんでしたので食材をそのまま「煮る」か「焼く」のシンプルな料理でした。

 

料理を作る燃料は釜戸か囲炉裏で木材か炭火しか有りませんでしたので、料理法は必然的に「鍋もの」と「焼き物」が中心でした。

 

京都などの一部の公家社会では裏千家などの茶道が社交の場として流行していましたので、懐石料理なども有りましたほんの一部の公家と上級職武士と金回りの良い商人だけの世界のことでした。

 

その様な日本料理の状況でしたので日本と交流があった中国や朝鮮、ポルトガル、オランダなどの国々から見ても日本料理から得られるものは少なくて、むしろ日本はそれらの国々の料理法を学ぶ立場でした。

 

歴史を更にさかのぼりますと日本と最も交流が多かった国は中国大陸と朝鮮半島ですので、それらの国から多くの文化を学んだ期間が長く続きました。

 

醤油や味噌、豆腐、塩干物、味醂、酢、砂糖なども中国と朝鮮半島から学んだものです。

 

日本人が初めて見た西洋人は種子島に漂着したポルトガル人ですが、その後のポルトガルとの交流で数多くの料理法を学んだ時期もあります。

 

天麩羅も元はポルトガルの揚げ物の料理法ですし、カステラや金平糖という言語も元はポルトガルのものです。

日本料理に外国が与えた影響

明治維新が始まって海外との交流が解禁されるまでの一般人の日本料理は簡単な「鍋もの」か「焼き物」が主役で、調味料も塩と醤油に酒ぐらいがせいぜいでした。

 

歴史的に見て一般庶民が口にしていた日本料理に大きな影響をもたらしたのは中国と朝鮮の庶民の料理ですが、地理的に日本には辛子と油類が少量しか生産されていませんでしたことと調味料が限定されていた事が根本的な料理法に違いが出て来ました。

 

現在でも韓国などの朝鮮半島の庶民の食べ物と日本の昔からの食事は共通するものが多くあります。

 

例えば、大根や人参のオナマスやナムルなどの野菜料理は韓国から日本に伝わったと考えられます。

 

当然ですが味噌や醤油、味醂といった調味料も中国から日本に紹介されたものですし、多くの大豆製品である豆腐、油揚げなども中国から入って来ました。

 

仏教の伝来とともに精進料理も日本に入って来ましたし、オランダや長崎には卓袱料理やチャンポンも中国屋ポルトガルの影響で日本人が工夫した料理になります。

 

更に明治維新以後になりますと本格的にフランスやイギリス、ドイツなどの西洋料理も導入されるようになりました。

 

ヨーロッパやアメリカなどから日本に訪れる賓客のおもてなしの為に明治政府は東京や横浜、神戸などの外国の船が入ってくる地域に迎賓館やホテルなどの宿泊場所を建設しました。

 

これらのホテルではフランスやイギリスからのコンチネンタル料理やフランス料理のシェフを招いて本格的な西洋料理を用意しました。

 

これらの欧米の料理法が後の日本料理に大きな影響を与えると同時に日本人の料理センスが見直される時代の元になったと考えられますが、日本の料理が世界に紹介されるまでになる時期は更に後になってのことです。